2019年10月1日火曜日

“観察を楽しむ”バードウォッチング

鳥を見に行って、野鳥撮影を楽しむ方々にお会いすることが多くなりました。

私が子供の頃(30年前ほど)にもそういう方はいましたが、デジタルカメラの普及とリタイアされて余裕のできた方々の趣味という要素が加わって野鳥撮影人口は飛躍的に多くなり、シャッター音を途切れなく聞き続けることも珍しくなくなりました。

それと同時に、近くにいない鳥は撮影対象になりにくいことで、存在に値しないような言動が聞かれる頻度も増えてきました。


自然観察が趣味のご夫婦とバードウォッチングしていた時に、奥様が旦那様が撮影に夢中になっている後ろ姿を見ながら、

「本当はもっと観察をしてほしいのだけれど…」

と、ちょっと寂しそうに言っていたのが印象的でした。


撮影がいけないとは思っておられないようです。その旦那さんも無駄なシャッターは押していないので、シャッター音が嵐のようになることはありません。でも、まずはカメラを構えることが多いことへの疑問と、やはり自然を楽しむには観察がベースだと思っている奥様の気持ちも理解できます。

私も仕事で野鳥の撮影をしますので、撮影自体に否定的はないのですが、野鳥撮影をするならば、多くの方々にまずは「観察による基礎の蓄積」を大切にしてほしいという気持ちがあります。


最近、珍しい鳥が出た場所では純粋に観察を楽しまれる方よりもカメラマンが集まっていることがほとんどで、シャッター音の嵐になることが多くなっているので、私もやや敬遠気味になってしまっています。

カメラマンの方々の会話の中で、よく「眠ってて全然ダメだ」とか、「今日は動かないから、全然写真にならない。つまらない」と言いますが、休んでいる鳥には、休んでいる理由があります。音を立てたりして、目をむりやり開けさせようとする人も時折見かけますが、ご自身が眠いときに起こされたらどう思うかを想いを巡らせてほしいと思います。

それにじっと観察やスケッチをしていると、鳥は意外と動いています。その微妙な変化や動きを捉える粘る強さを、自然が相手のことだけに、持ってほしいと思います。

遠くから飛来して大変な状態の鳥たちの様子に配慮することなく追いかけ回して撮影し、「撮れて良かった」とか「遊んでくれた」などと言っている姿は、渡りや生きていくための必死に餌探しをする野鳥の大変さを知ると、うまく自分の気持ちを沈めることが難しくなってしまいます。


嵐のようにシャッター音がしないバードウォッチングがしたい。

撮影のために鳥を追いかけ回すカメラマンのいない場所で鳥をゆっくり観たい。

鳥がいない時は、いない理由に想いを巡らせるバードウォッチャーに会いたい。

そんなことを希望すると、カメラマンの多くいる場所を敬遠したり、気の知れた仲間と出かけることや、一人でゆっくり探すバードウォッチングが増えていきますが、野鳥という生き物の素晴らしさを知ってもらいたいと思っている一人としては、それではいけませんよね。

自分なりの解決策を見つけていきたいと思います。

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